集中豪雨の日、東京では何が報道されたか?
7月初旬に発生した西日本豪雨では、中四国と九州で大きな被害が出た。梅雨の末期に集中豪雨が発生するのは、日本の場合は毎年のことであり、気象庁はさまざまな観測体制を整えて予報も充実させてきているのだが、死者が200人に迫る巨大災害を防ぐことはできなかった。
現在も復興作業が続いているが、今回の豪雨災害ではテレビ報道の少なさが問題になっている。例えば、東京制作の情報番組では、豪雨災害よりも「タイの洞窟からのサッカー少年救出劇」を優先した編成になっていた。甚大な被害が出ているにもかかわらず、各局は特別番組を組まなかったのである。
経済、働き方、高齢化…メディアをとりまく環境の変化
原因としては、何といってもメディア産業における東京一極集中の現象がある。NHKだけでなく、民放の主要3社も経済局も全てキー局は東京にある。民放の経営と業務に深く関わっている広告代理店も同じだ。また、広告を出すスポンサー企業も東京に集中している。このために、どうしても東京のニュースが中心となり、地方のニュースの扱いは小さくなる。
これに加えて、各メディアの経営基盤が弱くなっている問題もある。慢性的な不況のために、日本の経済界では広告費を削減し続けており、その結果として民放の制作費にしわ寄せがいっている。そこで、大きな事件が起きても現地へ大規模な取材チームを送ることができず、東京のスタジオを中心とした番組になってしまうのだ。
最近深刻なのが、災害における報道機関の取材活動への批判があることだ。「取材ヘリが騒音をまき散らしている」とか、「メディアが危険なところで取材しているので、遭難して迷惑をかけるのではと心配になる」などといったクレームが多くなっている。その多くは、被災地とは無関係な場所からの正義感の暴走なのだが、それでも各放送局には萎縮が見られる。例えば、災害現場からの中継ではいちいち「安全な場所から撮影しています」という断りを入れなくてはならない。
さらに、働き方改革の問題である。マスコミが花形業界であったのは、昭和の昔の話であって、現在の日本では「報道機関は3K(汚い、キツイ、危険)職場」というイメージが広まり、人材確保に苦労している。また、長時間の勤務や危険な取材はコンプライアンス違反だとして批判されることもある。
ワイドショー的な番組制作の姿勢も問題になっている。もちろん、今回の西日本豪雨のような大規模災害の場合は、現場に取材班が行くこともある。その場合は、東京からメインの司会者や、番組レギュラーのレポーターがわざわざ乗り込んで現場から中継するのである。本来であれば、地形や地域事情に詳しい地元の支局や系列局の取材班が現場感覚のあるレポートをすべきなのだが、最近の視聴者は知らない顔が出てくるとチャンネルを変えてしまうのだそうで、どうしても、全国的な知名度のあるキャラクターを送ってショーアップしないと視聴率が取れない。これは、アメリカのテレビ報道の悪しき影響かもしれない。
視聴者層の偏りも指摘されている。現在の日本では、平日に現役世代がテレビを視聴するのは午後11時以降から午前7時半以前となっている。それ以外の時間、視聴者の中心は高齢者が圧倒的で、災害を扱っても被災者の涙ながらのコメントなど人情報道が中心となり、情報量は増やせない。
では、深夜や早朝のテレビ番組やネットが災害報道をしっかりできているのかというと、こうした現役世代向けの報道は、経済情報や国際ニュースなどの需要が多いため、より一層、東京発になっており、今回の西日本豪雨に対する対応は十分ではない。
今回の災害では、避難指示が遅れたり、ダム放流の告知が徹底しないなど、さまざまな問題点が指摘された。必要な堤防工事が遅れたために大惨事になったというケースもある。こうした悲劇を繰り返さないためにも、災害報道の強化は急務ではないだろうか。
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(2018年8月1日号掲載)
※このページは「ライトハウス・ロサンゼルス版 2018年8月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。